校歌、校訓、校章

▼ 校   歌   ▼ 校   訓   ▼ 校   章 


◆ 教育目標

教育基本法並びに学校教育法に則り,人格の形成をめざし,社会に対する健全な批判力を養い,自主自立の精神に充ち心身ともに健康な国家及び社会の有為な形成者を育成する。
 

 


 

◆ 校歌  
 

明治40年、南六軒丁校舎が原因不明の火災により消失した。しかしながら、現在の元茶畑の地に明治41年には新校舎が建設された。従来本校には校歌といえるものはなく、南六軒丁校舎新築落成の歌を校歌のようにして歌っていた。


弟4代校舎

茶畑校舎の新築を機に、当時の川田校長は、本校の校訓を盛り込んだ校歌を制定し、校風の発揚をはかることが企画された。歌詞は初代校長の大槻文彦先生に、曲譜は音楽教員岩城寛先生がつくることになり、明治42年、現在歌われている校歌が出来上がった。



初代校長:大槻文彦先生

 

 

 

 



◆ 校訓  
 

日露戦争前後、全国的に生徒の気風が乱れ、頽廃的傾向を生み出しつつあり、本校も例外ではありえなかった。このような頽廃的風潮を刷新するために、明治39年の開校記念日に「自重献身」の校訓が制定された。

この「献身自重」のモットーは、当時の川田校長の発案で、種々討論の結果作成された。川田校長によれば、「献身」とは自己否定を意味し、これこそ善の最大なるもので、これなしでは人格の完成は不可能であり、また「自重」とは「献身」と矛盾するものではなく、良心の命令に従って私利私欲を滅し、人格を完成することがもっとも自己を尊重するもので、これこそが本来の自重というのである。自己否定の献身の精神は、人格完成の唯一の途であり、自己を最も尊重することになるというのである。

昭和初期、社会の行き詰まりのなか満州事変が勃発し、日本は軍国主義に傾倒して行った。政府は非常時を強調し、国民精神作興の運動が盛んに行われた。しかし反面、人々にはやり切れない思いの中、頽廃的な傾向が見られた。しかしながら、本校においては当時の小平校長は創立40周年の昭和7年、「自発能動」を発表され、あくまで生徒の自主性を尊重し、これを涵養することを念願し、単に権力に追随するすることはなかった。小平校長の教育方針は、この「自発能動」のもと、常に教育の独自性、教権の確立を信条とされ、確固不動のものであったからこそ、時代の激動の中でも、生徒はひたすら本分に励むことができた。


第9代校長:小平高明先生
 

 

 

 



◆ 校章  
 

現在の校章は本校が新制高等学校に切り替えられた昭和23年に、それまでの校章の「中」にかわり採用された。

この図案は、全校生徒から募集し、その中の優秀なものを当時の図画科の先生が手を加え出来たもので、当時の宮城校長によれば、「宮城野萩と笹(竹)は共に仙台を象徴し、萩のふくらみと竹の強さ、即ち柔と剛とを兼備する意味を持たせたもので、質実剛健な中にも豊かな情操を含んでいることを象徴したものである。」ということである。

戦後の新しい時代に、この校章と二本の白線をつけた帽子をかぶった仙台一高生は、彼らがこれまであこがれた旧制高校生のスタイルをある程度模倣し、肩にかばんを下げ、緒の太い足駄で通学するものが見られるようになった。